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私達の取り組み


『が』小分け版㊸
今治北高校の卒業式は、毎年3月1日にございます。高校生活は様々な思い出がございました。私自身は、案外と華々しい高校生活でございました。高校3年間で学んできたことは、無駄なことはございませんが、本来の自分自身を隠して生きてきた、そんな生活でございましたので、精神に異常をきたしておりました。そのことに私自身を初め、周りも全く気付いてはおりませんでしたが、よくよく考えるとしんどい暮らしぶりであったと反省致しております。自分自身を周りが理想とする姿で演じる、それが現在の私は出来なくなってしまったと感じております。
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7月20日読了時間: 1分


『が』小分け版㊷
推薦入試は2大学受験致しましたが、初めは九州工業大学、次は徳島大学でした。九州工業大学は滑りましたが、徳島大学には合格致しました。推薦入試で合格し、勉強する必要は無くなりましたが、皆が前期日程に向けて勉強をしておりましたので、私自身も勉強は止めずにおりました。クラス一丸となって志望校合格に向けて頑張る、その姿が私自身も好きでありましたので、しっかりと付き合っておりました。高校生活3年間は自分自身本来を隠して、同調して生きてきた3年間であったと振り返ってみて感じております。
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7月19日読了時間: 1分


『が』小分け版㊶
近畿大学への入試試験が終わり、国立の前期日程の試験に向けて、引き続き勉強を致しておりました。推薦入試試験は考えておりませんでしたが、担任教師からの勧めで推薦入試試験を受験することに致しました。推薦入試試験は2大学受けました。その内、初めに受けた大学は福岡県北九州市にある大学で、国立の理系専門大学でした。試験は数学の専門面接試験でした。答えられないことはございませんでしたが、残念ながらその大学との巡り合わせはございませんでした。その大学に合格することが出来ていれば、また違う未来が見えていたのだと感じております。
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7月18日読了時間: 1分


『が』小分け版㊵
大学センター入試を終えた私は、前期試験に向けて勉強を始めました。途中、近畿大学の入試試験を受験し、見事に合格することが出来ました。なぜ近畿大学に入りたかったかと言いますと、私本来のレベルに合っているのではないかと感じたからです。今思えば、それは最適解であり、その後に、国立大学の推薦入試を担任教師に言われて受験するのですが、その流れは良くなかったなと感じております。やはり、大学選びは自分自身でするべきものであったと、振り返り未練を感じております。
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7月17日読了時間: 1分


『が』小分け版㊴
某日、私は大学入試センター試験に臨みました。試験会場は愛媛大学でした。私は前日からホテルを友達と予約しておりました。一年に一度の大勝負、私はとても緊張致しました。今思えば、例えその時に失敗しても次がある、という気持ちで臨んだ方が上手くいったなと思っております。試験結果としては、得意の数学が思うように伸びず、予測よりも低い点数になりました。このセンター試験の結果を持ってして、広島大学を受けるのは無謀だと担任の教師に言われ、私は泣く泣く当該大学の志望を諦めました。
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7月16日読了時間: 1分


『が』小分け版㊳
高校三年生になり、私史上最も忙しい時間となっておりました。試験勉強に部活動に学校行事に、全てについて完璧に|熟《こな》したいという気持ちが強かったです。目が回るほど忙しかったので昔の記憶を辿りながら本エッセイは書いておりますが、まだまだ想い出の扉が開かれない状態でおります。そういえば、修学旅行にも行きましたが、その時の記憶も全く残っておりません。自分にとっての印象深い想い出は、何気ない日常の一場面の中にこそあったのだなと、本エッセイを書きながら思っております。
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7月15日読了時間: 1分


『が』小分け版㊲
高校三年生になり大学進学への試験勉強が本格化する中、私の中心は相変わらず部活動一色でした。結局、私は大学進学への試験勉強よりも部活動の方が楽しかったのです。国立大学志望でしたので、当時のセンター試験の勉強を中心に行っておりました。高校一年生の頃から、「広島大学へ行きたい」と思って勉強はしておりました。結局、その夢は叶いませんでしたが、広島大学進学の夢は叶わないままで終わって良かった、と当時を振り返って私自身は思っております。
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7月14日読了時間: 1分


『が』小分け版㊱
今治北高校での私のクラスでの立ち位置は、正直言うと面倒くさがられるけれど、居たらクラスが明るくなるムードメーカーでした。これは自己判断に依るものですので、実際はどうだったのかは知る|由《よし》もございません。ただ、誰とでも分け|隔《へだ》てなく接する存在でいようとは、心掛けておりました。何故そうありたいと思ったかと言いますと、敵を作りたくなかった、その一点に尽きます。なので、高校生時代は|素《す》ではなく、高校生|一KOH《いっこう》を演じていたに過ぎませんでした。
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7月13日読了時間: 1分


『が』小分け版㉟
高校三年生の時、私は弓道部の主要レギュラーとして活躍するようになりました。高校弓道の団体戦は5人立ちにて試合が行われておりました。私はその中で“落ち”という5人立ちの一番後ろを任されておりました。当時の私はなんとしても団体戦で全国まで行きたいと思っておりました。弓道メンバーの皆が一丸となって取り組まなければ、到底無理ですが私は私さえそう思っていれば辿り着くだろうと考えて、とにかく自身の腕ばかりを鍛えておりました。思えば、そう思い続けることはしんどかったなと感じております。
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7月12日読了時間: 1分


『が』小分け版㉞
今治北高校に在籍している時、我が母校は初めて春のセンバツ高校野球全国大会に出場致しました。この頃は“ハンカチ王子”こと|斎藤佑樹《さいとうゆうき》投手が時代を|席巻《せっけん》致しておりましたが、その中でひっそりと出場しておりました。甲子園球場にも足を運びました。北高グッズ販売がされており、何だか不思議な気持ちになりました。初めて訪れた甲子園球場はテレビで観るよりも狭く感じました。私の母校は一回戦は突破致しましたが、二回戦は逆転負けしてしまいました。
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7月11日読了時間: 1分


『が』小分け版㉝
今治北高校には学期に一回、身だしなみ検査というものがございます。私はそれが不得意で無くならないかなと思っておりました。高校生としての身だしなみというものがああいうものだという事を理解せずにただ乗り越えれば良いとしか思っておりませんでした。その為、大学進学を機に独り暮らしを始めてからは、完全に衣食住が|疎《おろそ》かとなり、見栄えの良くない生活を行っておりました。ちゃんとそういうことは身に着けておくべき事でした。
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7月10日読了時間: 1分


『が』小分け版㉜
今治北高校の弓道場の横には、テニスコートがございます。私の弟二人は、二人とも私と同じく今治北高校に進学しておりました。中で、真ん中の一学年歳下の弟は、硬式テニス部に入部しておりましたので、偶に弟が硬式テニス部で活動しているのも眺めておりました。もし弓道部に入らなければ、硬式テニス部にも仲の良い同級生もおりましたので、入部してみるのも良かったのかもしれないと今さらながら思います。逆に、弟は弓道部にも興味を持っていたみたいではあります。
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7月9日読了時間: 1分


『が』小分け版㉛
今治北高校弓道部の備品は、出張販売している弓具屋さんで購入しておりました。最初に買ったのは道着と弓懸けだったように思うのですが、当時は両親にこのような高い買い物をさせてしまい、申し訳ないという気持ちで一杯でございました。現在、私は自由に使えるお金が増えましたが、お金というのはヒトに付きまとって離れないものだと強く感じております。私も当時から、お金にはかなりがめつく執着していたものだと反省を致しております。
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7月8日読了時間: 1分


『が』小分け版㉚
今治北高校の体育祭について前述致しましたが、もう一つの一大行事として、文化祭もございました。文化祭は各クラスごとに催しものを用意して出店することもしておりました。当時の私にとっては文化祭よりも体育祭の方が|浮足立《うきあしだ》っておりましたので、あまり覚えておりませんが、楽しかった行事ではございます。三年に一度、学外者にも開放しており、その時が最も|賑《にぎ》わっておりました。私の中では3-8クラスで行ったメイドカフェが強く印象に残っております。
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7月7日読了時間: 1分


『が』小分け版㉙
今治北高校の一大行事の1つに、体育祭がございます。体育祭は生徒主導で行っておりました。確か、『青龍』『赤帝』『紫電』『|黄鵠《こうこく》』の4チームに分かれて行っていたように思います。私は1年生の時は『黄鵠』チームになっておりました。2クラスが合同でチームとなり勝負をするわけですが、私自身はかなり乗り気で行っておりました。そういうことが好きであり、楽しかったからです。ですが今考えてみると、ちょっと前に出過ぎていたなと思い返しております。
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7月6日読了時間: 1分


『が』小分け版㉘
私の数学の成績は、|今治北高校《いまばりきたこうこう》でも抜群に良かったです。時には学年トップを取ることもあり、理系が得意なんだろうなとずっと思っておりました。しかしながら、ふたを開けてみると現在は執筆業をしているのですから、人生とは不思議なものです。数学教師が学年主任で特に厳しかったというのも要因の一つだったのではないかなと思っております。前述を致しましたが、国語の成績は良くも悪くもなく、そこそこ出来るという感じでございました。読むのは昔から好きではございました。
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7月5日読了時間: 1分


『が』小分け版㉗
|今治北高校弓道部《いまばりきたこうこうきゅうどうぶ》には、顧問の先生の先輩というコーチがおりました。時折顔を見せては厳しくも優しい指導をして下さるコーチでした。私は怖くて堪りませんでした。夏には夏合宿、冬には|百八射会《ひゃくはちしゃかい》と厳しい行事もございました。その時の経験は、現在の自分の“継続”するチカラに繋がっております。2年半という短い期間ではございましたが、弓道部での経験はとてもかけがいのないものではございました。社会人になり、北高弓道部の後輩にも出会いましたが、その時にもその名物コーチは居たそうです。
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7月4日読了時間: 1分


『が』小分け版㉖
|今治北高校《いまばりきたこうこう》では、2年生になると文系と理系にクラス分けされます。私はというと、意外に思われるかもしれませんが理系クラスでした。その理系クラスの仲間達と過ごした二年間は、私にとってとてもかけがえのないものとなりました。何故ゆえ私が理系クラスに入ったかと言いますと、将来の夢が理系だったことは元より、何よりも数学が得意であり、何よりも英語が苦手だったからであります。国語はそこそこでございました。
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7月1日読了時間: 1分


『が』小分け版㉕
私は将来は「|長大橋《ちょうだいきょう》の設計がしたい」そう思っておりました。何故そう思ったかというと、弓削島に住んでいた頃に、|弓削大橋《ゆげおおはし》という橋の建設風景を間近で観ていたからであります。そこから大島に移り、|来島海峡大橋《くるしまかいきょうおおはし》の建設風景も観ておりました。なので、将来は「そういった仕事に|就《つ》きたい」と|漠然《ばくぜん》とですが思っておりました。それが、何故現在のようなことをしているのかについては、また後ほど書かせて頂きたいと思います。とにかく、そういう事でしたので、勉強も怠ってはおりませんでした。
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6月29日読了時間: 1分


『が』小分け版㉔
|今治北高校《いまばりきたこうこう》は男性は学ラン、女性はブレザーでした。女性の首に巻くリボンみたいなネクタイが、可愛いなと感じておりました。ある時、当時の私の写真を掘り起こしたことがございましたが、現在と比べて美男子に映りました。カメラマンさんが、綺麗に撮って下さって、とても感謝しております。同級生に写真屋の息子がおりましたが、こういう風に親の仕事を眺めるのは、恥ずかしいことではあるなと私は感じました。大人になって、そういうことも良さそうだと感じております。
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6月27日読了時間: 1分
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